令和4年度
2月
一月の風物詩のひとつに大相撲初場所があります。横綱不在で大関も一人の場所でありましたが、千秋楽で貴景勝関が見事に優勝し、大いに盛り上がりました。
堀原運動公園内にある、茨城県武道館の前庭に横綱常陸山谷右衛門の銅像があります。常陸山は明治七年に旧水戸藩士市毛高成の長男として水戸市に生まれました。旧制茨城中学(現水戸一高)時には東京専門学校(現早稲田大学)をめざしていましたが、生来の体力と体格から周囲より各界入りを勧められ、明治二十三年に出羽海部屋に入門します。明治三十六年に横綱に推挙され、明治時代後半から大正初期にかけて大相撲黄金時代を築きました。明治期の相撲界にとって必要だったのは、常陸山のような存在だったはずです。
明治に入り近代化をめざした日本は、西洋文明の輸入とその消化を急ぎました。一方で古来より伝わる伝統を旧弊として否定する傾向が強くなりました。髷を結い、まわしをつけて組み合う大相撲も例外ではありません。さらに大名に召し抱えられていた力士は、その主体を失ったのでした。明治天皇により守られた大相撲でしたが、現在に至る大相撲の伝統を築いたのが常陸山なのです。現役時代に著した「相撲大鑑」は相撲の起源に始まり、技術、精神、組織など全てを網羅した研究書です。特に武士道精神を重視した常陸山が相撲に品格を与え、後年双葉山がそれを追い続けたと言ってよいでしょう。
品格を重視すると共に行動力も抜群で、明治四十年には弟子三名を伴って欧米旅行の途につき、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトと会見しています。その後ロンドン、パリ、ベルリン、モスクワを巡りウラジオストクから帰国しています。
常陸山の功績は、私立学校としての品格と行動力を考えた時、大いに参考になるはずだと考えています。品格という言葉が新鮮に感じられる時代です。だからこそ大切にしたいと思う次第です。
今月十八日は学校参観を予定しております。授業や卒業生等による進路ガイダンスを見学していただく内容です。ご息女の素敵な笑顔と元気な姿を感じていただければ幸いです。