5月

この時期の学校通信は、五年続けて南三陸町を訪問した時の様子について述べてきました。今年も同じ時期に私は南三陸町へ車を走らせました。

平成二十四年は、絶望的な状況の中でも必死に復興へ向けて頑張っている地元の方々の姿から、「すべてを飲み込んで全力を尽くす」心を強く感じ、翌年は復興が着実に進んでいる様子から、勇気と美しい海を感じ取るための「真っ白な気持ち」でいることの大切さを学びました。そして二十六年は「忘れない」という大事なことを、一昨年は福島県の帰還困難区域の厳しい現実から「続いている、そして続ける」ことを、昨年は「責任」を感じてきました。

帰宅困難区域を解除になった地域は、畑や田んぼの緑が戻りつつある光景がみられました。同時に農業を断念したのでしょうか、太陽光パネルが一面に広がっているのも確認できます。未だに帰宅困難区域に指定されている場所は三・三マイクロシーベルトの放射線量が計測されています。応急処置を施した屋根瓦は、屋根自体が朽ち始めており、大震災の影響が深刻化していることを物語っています。

南三陸町は南三陸町復興計画に基づき、復興が加速しています。その象徴のひとつが、仮設から本格的な建物に移転した「南三陸さんさん商店街」です。防災庁舎近くの高台に移転した商店街は、多くの人々で賑わっています。そこから見る風景から、新たな街に生まれ変わろうとしている南三陸町を感じることができます。五年間通い続け、二年前には田口副理事長と共に訪れたお蕎麦屋さんがなかったのは残念でしたが、商店街の方々の温かさは今年も健在でした。

温かさを感じながら、六年前に初めてこの地に立った時の記憶が甦りました。瓦礫が残り、絶望的な状況が広がる中、所々に立てられていた「なつかしい未来へ」という看板です。変わらなければならないことと、変えてはならないことが両立している「なつかしい未来」を、今の南三陸町から予感することができます。不易流行は教育においても重要なキーワードです。これからの本校のあり方を見つめ直す機会となりました。