平成25年度
9月
先月開催された全国高等学校総合体育大会や全国高等学校総合文化祭では、九州の地において本校生の活躍を目の当たりにすることが出来ました。今後の活躍をさらに期待したいところです。
フェンシング競技が開催された日田市総合体育館から車で五分ほどの所に咸宜(かんぎ)園という私塾跡があります。以前より訪問したかった私塾のひとつだったので、団体一回戦での勝利を見届けた後、行ってみることにしました。咸宜園は儒学者であり詩人であった廣瀬淡窓(ひろせたんそう)が江戸時代後期に開いた私塾であります。咸宜とは「すべてのことがよろしい」との意味があり、「鋭きも鈍きも ともに捨てがたし 錐と槌とに使い分けなば」という淡窓の歌に表現されている通り、人の長所を伸ばすことを教育方針としています。咸宜園には全国から学びを求めて、およそ五千人の門下生が集まりました。常陸国からも二名が在籍していたことが確認できます。大村益次郎、高野長英も咸宜園の出身です。
淡窓は、身分や階級制度が厳しい江戸時代にあって、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法」により、すべての門下生を平等に教育しました。当時としては大変珍しい女子の門下生もいたほどです。「月旦評」は月の初めに貼り出される成績表です。門下生は全員が無級からスタートし、試業(試験)に合格するたびに一級から九級までのランキングに振り分けられました。また「規約」、「塾約」など厳しい規則があり、徹底した生活指導を展開しました。さらに人間性や社会性を養うために全員で職務を分担する「職任」を展開しました。学業の基本、生活面の徹底指導と、社会性を意識した塾運営は、今の教育にも大きな示唆を与えています。淡窓という町名が残り、近くには咸宜園小学校がある日田市には、廣瀬淡窓の思いが息づいていることを確信した次第です。
今学期も社会に貢献する女性を育成するという建学精神に基づき、教職員一同、当たり前のことを、真面目に、心を込めて取り組んでまいります。御理解と御協力を宜しくお願い申し上げます。