平成22年度
11月
最近、スポーツの指導者からよく聞くことのひとつに、試合に際して一つの戦法や方針で、集中力が続かず、精神的な脆さを感じる選手が多くなってきたということがあります。もともと、相手のあることですから、思い通りには行かないのがスポーツの常ではありますが、一つの作戦や戦法を貫くためには、技術の高低もさることながら、何よりも強い意志力を必要としているはずであります。
私たちの生活は、大変便利になっています。生活の便利さを文化的と受け取った錯覚と、科学技術の進歩に支えられた商業主義の影響から、日本人の生活は、ある意味では世界で最も便利と言っても過言ではなくなりました。反面、そのような生活が、私たちの精神力や意志力を弱くしていくのは、人の本性の必然かも知れません。すぐれた施設や用具に恵まれた日本のスポーツ界で、選手の意志力の弱さが大きな課題となったのも納得のできることです。
さらに重要なことは、これはスポーツだけの問題ではないということです。厳しさを欠いた満ち足りた生活が、人として微温湯的にし、目的意識や実行に際しての意志力を大変甘いものにしていることと、足るを知る所から生まれる幸福感よりも、より一層の便利さを求める欲望のみを増大させている現象は、人を幸福にすべき豊かで便利な社会が、かえって不幸な結果を招いていると言わざるを得ないのであります。
我が国は数千年育まれてきた国としての基本精神があり、先祖たちは、生き方の中でその基本精神を堅持しつつ生成発展してきたのでありますが、ここ数十年間に、その基本精神が薄れてきたのは事実であろうと思います。それがなくなった時に国は、その崇高な精神的部分を失い、ただ国民の利益追求の手段に過ぎなくなってしまいます。
科学文明の発達や生活の近代化は大切なことでありますが、そのような社会だからこそ、それに溺れない節度ある精神性を、より本質的で大切なものとして教えていくことが、やはり教育の中心と考えるのであります。