早春の候となり、桃の節句の佳日には、蛍雪の功なった三年生がめでたく卒業いたします。
三年生のご家庭の皆さまに対しましては、心からのお喜びを申し上げるとともに、三年間にわたる学校へのご協力を深く感謝申し上げる次第であります。東日本大震災以来、苦楽を共にした三年生を新校舎において送り出すことは、極めて感慨深いものがあり、生涯忘れることはないはずであります。
例年、卒業式の時期になりますと、本校三年間における成長を疑いないものとして信ずる反面、まだまだ教え残したことが多いとの思いもどこかにあり、今後の幸せをひたすら祈るのが常でありますが、これも一つの老婆心であるかも知れません。いつの時代でも、親の目から見る子は、その成長にかかわりなく子どもとして映るものです。
このような老婆心はさておき、将来卒業生たちが当面するはずの容易ではない時代を思う時、私自身の努力の微小さがひしひしと痛感されてならないのです。
本来、教育はその要素の中に鍛練的な面、修行的な面も持っています。それが段階的に、そして適切になされる時に、初めて正しい人間形成もなされるはずだと考えています。自由についてみても、真の自由は恣意の抑制と不可分であるはずです。だとすれば鍛練的要素を持つ恣意の抑制を習慣づけ、体得させることなしに自由を教えることは不可能なのであります。
現代の日本は、長い間続いている温室的な条件から、義よりも利を、節操よりも妥協を、克己よりも安楽を望む風潮が強いのであります。このような時代にあって、鍛練面も併せ持った正統な教育を実践していくことのむずかしさを切実に感じるとともに、鍛練を欠き、我慢を知らない人々が増えていくことに大きな責任を覚えてならないのであります。
新卒業生の巣立ち行く時を迎えて、感慨も無量でありますが、ひたすらその人生に幸多かれと心より祈ってやまないのであります。