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平成18年度 10月

安倍首相の所信表明演説で引用された吉田松陰は、私も尊敬している教育者の一人です。松下村塾の開塾期間を幽室時代から野山再獄の安政五年十二月までとすれば、わずか二年十ヶ月の短い期間にすぎません。この間の来塾者は総計九十二名を数えますが、常時机を並べた塾生は多くとも十数人と推測されています。その中で幕末政治運動にかかわった塾生は、童門冬二氏によると四十二名にものぼります。

すぐれた業績を残した吉田松陰は女子教育をどのように考えていたのでしょうか。女子教育に携わる者として大変興味のあるところです。来塾した九十二名の中に女性の名前はありません。三百諸藩の藩校は女性にまったく門戸を閉ざしていた時代ですから、やむを得ないことかも知れません。しかし吉田松陰は久保五郎左衛門に頼まれて、「曹大家女誡七篇」というテキストを作成した事実があります。そのテキストを使って授業をした形跡も、日記の記載から推測することができます。さらに女子教育が度外視されていた時代にもかかわらず、吉田松陰は女子教育の機関として女学校の開設を提唱しているのであります。

特筆すべきはその基本的な考え方であります。歴史に名を残す立派な人間は素晴らしい母の存在があって初めて可能であるとの思いが「節母烈婦ありて、然る後孝子忠臣あり」という言葉に表現されています。良妻賢母という日本古来の女性像だけにとどまらず、「烈婦」という言葉からは、たえず夫に従順で何事にもイエスマンの物分かりのいいだけの妻ではなく、時には断固として自己主張する自立した女性の姿が感じられます。男尊女卑が当たり前のように受け入れられていた時代においては、非常に斬新な考え方であったと思います。

今世紀はあらゆる機会で女性の参加や活躍が期待される時代です。「男女平等参画社会」や「ジェンダーフリー」など、心地よい言葉だけが一人歩きしている社会だからこそ、バランスのとれた真の女子教育が求められていることを強く意識したいと思います。