12月

文部科学省が,児童生徒に校内の規律を厳格に守らせる「ゼロトレランス方式」の導入について検討を始めたとの記事が,10月13日の付けの毎日新聞に掲載されています。「トレランス」とは英語で「寛容さ」を意味する言葉です。文字通り「寛容さゼロ」の教育を意味しています。本来は米国産業界の用語で「不良品を絶対に許さない」という品質管理の考え方を示すものでありました。レーガン大統領時代の80年代に,スラム地区の荒れた学校に導入されたのが最初でした。学校での銃乱射事件などを背景に,米連邦議会が各州に法案化を義務づけ,その後クリントン大統領が全米に呼びかけて一気に広まったのでした。

わが国でも凶悪犯罪の低年齢化が顕著になり,検討が開始されたのは当然の成り行きかも知れません。すでに数校が同じ方式を導入し,効果をあげているようであります。その内容を見ると,要するに「だめなものはだめ」という価値観を周知徹底させるものであり,当然と言えば当然のものであります。「ゼロトレランス方式」の具体的な方法では問題点があるかも知れませんが,基本的な事柄を徹底して指導するのは学校としては当然のことであり,それが成されていないことが大きな問題であることは言うまでもありません。

先日娘との会話の中で,考えさせられることがありました。私が小学生の頃は,鉄棒の逆上がりは例外なくできるまで指導された記憶があります。私も放課後残されて練習した思い出があります。娘の話を聞くと,今はそのような指導はされていないようです。給食指導も同様で,出されたものは残さず食べることが当たり前で,時には昼休みに入ってからも渋い顔をしながら食べていたことがありました。今は嫌いなものは残してもいいと児童は認識しているようです。学校における指導内容の低下が「忍耐力」や「自制心」の育成にも重大な影響を及ぼしていることを実感します。

「寛容」という名のもとで展開されている「迎合教育」が,現在の憂慮すべき状況の元凶であると考えるのであります。

一年間の本校教育に対する御協力を深謝しつつ,揃って良い年を迎えられるよう祈念申し上げます。