6月

四月下旬に南三陸町に行きました。うまく表現できませんが、昨年の大震災以来、漫然とした複雑な心境を一掃するためです。深刻な被害を受けた地域に物見遊山で出かけるのは気が引けたのですが、直前にテレビで南三陸町の方が全国の人に見て欲しいと訴えていたことを印象深く心に刻みました。

南三陸町は震災直前の人口が一七,六六六人、世帯数が五,三六二世帯の町でした。昨年の大震災により亡くなった方が六〇九名、行方不明者が二〇七名、全半壊世帯は三,三一五世帯にのぼりました(数字はすべて五月八日現在 復興庁HPより)。

南三陸町に入るとしばらくは農村風景が続き、震災の影響は水戸の方が大きいように思われたくらいです。しかし突如として、まるで街が消えてしまったと錯覚する光景が視界に飛び込んできました。海岸から約三キロも離れているのにもかかわらず基礎部分のみ残された家屋、津波によって原型が失われ放置された車、ビルごと流され斜めになった建物、流された車が屋上に乗ったままになっている三階建てのマンションなど、無残な光景が延々と続きます。さらに車を走らせると、幾度となくテレビで放映された七十余人が命を落とした志津川病院、そして鉄骨だけが残り南三陸町の被害を象徴する建物となった防災対策庁舎と、津波の恐ろしさを体感する時が流れました。海岸の近くには、瓦礫がまさに山のように積み上げられています。一年以上も経過しているにもかかわらず、未だに復興とは程遠い景色が広がっています。

「想定」することが人間の驕りであり、自然への冒涜なのではないかと強く感じました。そして、絶望的な状況の中、力強く生きている人々の姿から、私たちは何かを感じとることが大事なのだと思いました。すべてを受け入れた上で、最善の努力をすることが、私たちのめざすべき道なのではないでしょうか。

さて、フェンシング部、新体操部、空手道部の各部が今年度の関東大会への出場権を獲得いたしました。状況を嘆くことなく、最善を尽くしている各部を心から誇りに思う次第であります。